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2022.3.26

たつのこそだて02:助川達也さん「外に出たことでわかった、私の地元は龍ケ崎」

  • 市民の声
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龍ケ崎市出身の助川達也さんは、茨城県庁に勤務しながら、勤務時間外には、県内各地域をフィールドに歴史散策の街歩きイベントを開催するなど、様々な地域活動を主宰。2021年4月には『公務員のための場づくりのすすめ』(公職研)を出版しました。

 

その本は、小中高生時代に通いつめた龍ケ崎市立中央図書館に置かれています。

 

本のこと、龍ケ崎の魅力、外に出たから気が付いた「地元=龍ケ崎」という意識の変化などを伺いました。


 

ー「人のためになる仕事を」と自治体で働くことを選択。仕事で感じた現場に出る大切さ。
現在、公務員として活躍されている助川さんは、「茨城県内で人や地域のためになる仕事を」と大学卒業後に、茨城県に入庁。

これまで約20年間、農業や福祉、商店街の支援、東京事務所(当時・現:東京渉外局)、新型コロナ対応、職員研修と、様々な部署を経験してきました。
20余年働いてみて「県庁は、広域で幅広い仕事ができる一方で、市役所のほうがより地域に密着している」と感じているそう。

“場”を大切にする姿勢だからこその捉えです。

 

“場づくり”を大切にする助川さん。分岐点になった仕事を2つ教えてくれました。

ひとつは、商店街支援の仕事。「現場の人たちと一緒に仕事をし、感謝された体験は、職員としての礎になった」と語ります。

もうひとつは、東京事務所での勤務。茨城を離れて、「外から見つつ、そこで何ができるのかを考えた。茨城と東京をつなげるための場づくりに注力したことで、沢山のご縁と気付きを得ることができた」とのこと。

様々な“場”で様々な人とつながったことが、本の出版にも繋がりました。

 

ー「人と人がかかわりあうことが“場”」。場づくりを丁寧に紡ぐことが大事。
今回出版した『公務員のための場づくりのすすめ』では、職場の会議や人間関係の築き方から、一人の住民として地域に関わることまで「人と人とがかかわりあうこと」を“場”として捉えています。

さらにその場を、地域の人とともに活動することが多い公務員向けに【職場】【現場】【“学”場】【“街”場】という4つの場に整理し、それぞれの場づくりについて深掘りしています。

実際に読んでみると、“場づくり”や“外に飛び出す大切さ”は、公務員に限らず、どのような立場の方が読んでも、実践できる内容になっている一冊です。

視野を広げていくためには、「色々な人と出会う場」は重要な要素の一つであり、その場づくりを丁寧に紡ぐことが大事であると書かれています。

 

ー通い続けた中央図書館と商店街。ひたすら広がる田んぼの風景は、大切な原風景
龍ケ崎での思い出を伺うと、幼い頃からの数々の記憶がよみがえる助川さん。
出来たばかりの中央図書館に「黄色いバッグを手に2週間に1回通っていた」という小学生時代。

「今の自分が歴史好きなのは、図書館で出会った日本史マンガの影響かも…」と笑顔で語ります。

その後も通い続けた図書館は、今振り返ると、“知的好奇心を育んだ場所”だそう。
少年時代、毎回夢中で本を選んでいた図書館の書架。今、その場所に自身の本が置かれていることに「本当に嬉しくてありがたい。自分の本も誰かの知的好奇心を育むきっかけになったら」と喜びの声を寄せてくれました。
図書館の黄色いバッグ

【以前、図書館で使用されていたバッグに思い出がある人も多いのでは】

 

自身の中の“これぞ龍ケ崎”という風景は、「広い空の下、ただひたすら広がる冬枯れの田んぼ」とのこと。
犬の散歩ルートであった、江川の先に広がる田んぼの景色は「まさに原風景」であり、「特に冬空に富士山がきれいに見えたことは、忘れられない光景」と語ります。

富士山が見える風景

【助川さんが原風景と語る、冬枯れの田んぼと奥に見える富士山】

 

また、実家の近くにある龍ケ崎観音は、お宮参りから七五三、日々の健康や学業成就を願ってきた場所。今でも初詣はもちろん、帰省の際にはお参りに行くパワースポットだそうです。
他にも、竜ヶ崎駅から伸びる商店街にある今も続くケーキ屋さん、本屋さん、さらには、100円玉を沢山握りしめて同級生と向かったカラオケ屋、八坂祭礼の子ども神輿など…。

多感な時期に、実は触れていた龍ケ崎の魅力を、ここでは紹介しきれないくらい沢山語ってくれました。

 

ー街の成り立ちを知ったこと、外に出たことで強くなった“地元=龍ケ崎”。
「“地元”という存在は、大人になっていくなかで作られるのかも」
その昔、龍ケ崎の田園地帯は海だったことや街の成り立ちを知るにつれ、大人になった助川さんの龍ケ崎に対する思いがくすぐられていきます。

竜ヶ崎駅から砂町まで延びる1.8kmの商店街そばで育った助川さんにとって、その長さは日常のひとこま。
けれども、県外で出会った人に「龍ケ崎の1.8kmの商店街は珍しい」と言われ、自分たちの当たり前は外では貴重なものなのだと実感した出来事の一つと振り返ります。

昭和56年頃の商店街

【昭和56年頃の商店街(下町:龍ケ崎観音そば)龍ケ崎市歴史民俗資料館所蔵】

 

龍ケ崎を外からの視点で見たり、歴史を知ることで、この街の独自性を実感。するとよりいっそう愛着が増し、「地元とは“自分にとって愛着がある街”のことで、私にとっての地元は龍ケ崎だ」という思いを強くしたそうです。

 

ー“たつのこ”たちへ「あえて外に出てみることも大切。」
龍ケ崎から外に出てしまうと、そこで縁が切れてしまうのではと心配する人もいるでしょう。
東京や柏など、都会のキラキラ感に惹かれる時期もあるかもしれません。

助川さんは、年齢やタイミングもあるかもと前置きしながら、「多感な時期にあえて外に出て、外からの視点で龍ケ崎を見ることも大切」と言います。

「外に出たからといって繋がりは切れないし、むしろ反対に縁は広がり深まるもの。人生が豊かになることだってある」

外に出てできた様々なつながりから、地元龍ケ崎で街歩きのイベントを開催するなど、今また龍ケ崎へ関わる機会が増えたからこその言葉です。

今回のこのインタビューのように、離れて暮らしていても、何かのときにはいつでも関われる街になっていること、そうした心のつながりが大切なのかもしれません。

 

ーおわりに…
取材途中、「龍ケ崎の公式LINEも登録しているし、『りゅうほー』も読んでいます。あれ、職員が作っているんですよね」と言われ、ドキッとしました。
そのあとに続いた言葉は「とても見やすく、様々な工夫をされていて、すごいと思います」。ありがたい言葉でした。

現在は市外在住ながらも、龍ケ崎のことを気にかけていただいている姿。

インタビュー中、龍ケ崎のことを「空が広く、土地もゆったり、ゆとりがあって暮らしやすそう」などと語られ、外に出たからこそ気付いた龍ケ崎の良さがちりばめられていました。

助川さんが著書の中でも大事にされている「越境」という言葉。今いる場所から一歩踏み出した時こそが、新たな世界が開け、今いる場所の良さに気づくチャンス。そこから、地元=龍ケ崎という思いが強まっていくのかもしれませんね。

 

プロフィール

助川 達也(すけがわ たつや)

地方公務員(茨城県)・龍ケ崎市出身(龍ケ崎小、城南中卒)

仕事では、公務員の学びの場づくりのサポートを行う(取材時)。

プライベートでは、公務員や民間企業、学生などの枠を越えた人がつながる場づくりを実践。さらに、地域の歴史に着目しながら街歩きを楽しむイベントを、龍ケ崎のみならず県内各地で企画するなど、精力的に活動している。
 


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